脳幹出血の左半身麻痺でやり抜く事

ある日の夏に脳幹出血で倒れ復活日々の日常の日記や最近覚えたてのチャットGPTを使って詩や小説などチャレンジしてます。

① 私の体が消えた日

私の未来の運命を変える時間が始まつた、時は7月11日5時30分いつもの変わりのない
朝が始まつた。私は53歳、妻と息子、娘の4人家族、その日は7月に仕事転職し2回目の休養日、以前から母の定期健診を送り向かいを約束していた。私は6時に自宅を車で出発し母の待つ実家へ、何か体が軽いと思いながら実家で母を乗せ母の定期健診へ向かう病院は県立中央病院。車で60分、30分走った頃ガソリン無い、お腹が痛い。何時ものガソリンスタンドへ、まだ15分腹痛を我慢しながら車で走るガソリンスタンド到着。まず給油次に我慢が限界のトイレへ走りトイレを終わった時未来が壊れる感じが、頭の中が涼しい悪い予感?そうです脳の血管が破れたのです。それも致死率が高い脳幹、その後は嫌な匂いがし両目から今後を思う様に涙が流れ、目が回り始めました。その時頭を過ったのはトイレを終わりまだお尻を拭いて無い。拭き終わり目の回りはピークに、ここはガソリンスタンドのトイレここで倒れたら長時間見つからず命が助からないかも?最後の力を振り絞り外へ出ることに、ズボンを上げて無かったので他の人見られると恥ずかしいので上げ、足が縺れる中扉の外へ、そこに偶然店員さん、出にくくなった声で何か変なんです動けません。店員さん少し待ってください。心の中で待てないよ.手が動いたので助手席側居た母を手を振り呼び助けを求めましたその後母が店員さんに慌てて救急車を呼んでもらい運が良いことにガソリンスタンドの横が消防署1分で到着、救急搬送へ何処の病院に搬送?私は意識が遠くなる中で近くの町の病院は不安だと思い搬送、ここでも母の機転が、倒れた場所から救急車で10分ぐらいで医科大学病院が在るからそこにお願いします。その医科大学病院は脳外科では実績が多く助かる可能性が高い。医科大学病院へ搬送、私は徐々に頭痛と戦い医科大学病院の救急医療室へ到着が分かり意識が無くなる。その後意識が戻たのが倒れてから四日後そう命が助かたのです。ベット周りには妻、看護師、医師の方が私の顔を覗き込み何かを言ってる?
私は最初の後遺症に遭遇したのです。何も聞こえない。目が二重見える。聞こえる様になっから聞いた説明だと脳の神経が血液で汚染された様です。まだ今後の生活に支障が出る重大な後遺症が、何と左半身の痛みが感じない動きが変?私は感覚失ったのです。失調したのです。そのうえ全身の痺れ、感覚を痺れとして脳が認識してるそうです。感覚が無くなる?皆さんはどうなると思いますか?まず足の感覚が無くなる。①歩けない。ぶつかっても切っても痛みを感じない。足が在るのに無いと脳が思ってるんです。胴体、皮膚の痛みや触られた感触がありません。腕手、足の同じ感じ。あと喉は痺れにより正常じゃないので口から物は食べれないです。意識が戻った時には口には酸素を付けられ、腕は縛られ、手からは点滴、鼻からは栄養のチューブ、口の中にもチューブ、勿論汚物が出るのも分からないからオムツと尿のチューブ、簡単言うと重症。そこから退院までの壮絶なリハビリが始まりました。