隣人の狂気エピソード特集①
タイトル:「隣人はキ○ガイ」

新築の分譲住宅地に引っ越したのは、春のことだった。
夫の転勤が決まり、私たち夫婦は小さな一軒家を買った。
閑静な住宅街で、道路も広く、子どもたちの声が穏やかに響く。
最初の一週間は、まるで理想の生活のようだった。
引っ越しの翌日、隣の家から中年の男性が現れた。
「こんにちは、新しい方ですか?」
恰幅のいい男で、笑顔は大きく、声も妙に明るい。
名を“佐伯”と名乗り、「町内会長をやってます」と言った。
名刺を差し出され、握手を求められた。
その時はまだ、ただの親切な人だと思っていた。
佐伯さんは本当に“よく気がつく人”だった。
ゴミ出しの日を教えてくれたり、集会の案内を持ってきてくれたり。
最初の頃は助かっていた。
だが、次第に違和感を覚えるようになる。
ある日、夜の8時頃、玄関のチャイムが鳴った。
出ると佐伯さんが立っている。
「今日は旦那さん、まだ帰ってないんですね」
そう言って、ニコニコしながら差し入れの惣菜を渡してきた。
その後ろに、彼の家の明かりが見えた。
リビングの照明がついているのに、なぜわざわざ来たのか。
不思議だったが、断るのも角が立つと思い、礼を言って受け取った。
それから、週に二度、三度と訪問が続いた。
「これ、余ったので」
「うちの子どもがケーキ作りすぎちゃって」
彼の家に子どもがいるという話は、聞いたことがなかった。
そのうち、夫が不在の夜に限って来るようになった。
玄関に立つとき、彼の目が妙に潤んでいることに気づいた。
視線が、私の首筋のあたりを泳いでいた。
怖くなって、夫に相談した。
「近所づきあいって大事だけど、あの人はちょっと…」
夫は苦笑いして「気にしすぎだよ」と言った。
だが、その翌日、ポストに封筒が入っていた。
中には、我が家の庭で洗濯物を干す私の写真。
背後からズームで撮られている。
差出人の欄は空白だった。
警察に届けるほどでもないと夫は言い、
結局そのままにした。
だが、その夜から、家の前に車が止まるようになった。
エンジンをかけたまま、30分以上も。
外をのぞくと、ヘッドライトの明かりで誰の顔も見えない。
ある晩、娘が泣きながら寝室に駆け込んできた。
「ママ、窓の外におじさんがいた!」
急いでベランダを確認すると、足跡のような泥の跡が残っていた。
隣家との塀を伝えば、簡単に上がれる高さだ。
翌朝、佐伯さんに会った。
「昨夜、誰か見ませんでしたか?」と聞くと、
彼はにこやかにこう言った。
「お嬢さん、夜更かししてましたね。寝かしつけは大事ですよ」
――どうして、うちの娘が夜起きていたことを知っているのか。
不安は限界に達した。
夫が会社に事情を話し、引っ越しを検討することにした。
だが、動きを察知したかのように、佐伯さんの行動が変わった。
ある日、玄関ドアに貼り紙があった。
「出ていくんですか? ここが一番安全なのに」
夫が貼り紙を破っても、翌朝にはまた同じものが貼られていた。
ポストの中には、私の名前を何十回も書きなぐった紙。
無言電話が一晩に数十回。
番号を変えても、なぜかすぐに新しい番号を知っていた。
決定的だったのは、深夜3時。
「ドン、ドン」という音で目を覚ました。
玄関を見ると、ドアノブがゆっくりと回っていた。
夫が警察に通報すると、
サイレンが聞こえる前に、車が猛スピードで走り去る音。
警察が到着して調べると、
ドアノブに残っていた指紋は隣人の佐伯のものだった。
任意同行の結果、精神疾患の既往があり、
過去にも別の地域で“近隣トラブル”を起こしていたという。
彼の家の中からは、私たち家族の写真、使用済みのゴミ袋、
そして、娘の学校名が書かれたメモが見つかった。
私たちはすぐに引っ越した。
家を売るとき、不動産会社の担当者がこう言った。
「この地区、最近“出ていく人”が多いんですよね」
どうやら、佐伯の“被害者”は私たちだけではなかったらしい。
あれから一年。
新しい家では穏やかに暮らしているが、
夜にチャイムが鳴るたび、今も体がこわばる。
あの笑顔を思い出すたび、
人間が一番怖い――そう思わずにはいられない。
完
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