第3章:クレームの嵐
最初の演説からわずか三日で、榊原優一は“問題児議員”のレッテルを貼られることになった。
朝の郵便受けには、差出人不明の手紙が何通も届いていた。
そのほとんどが「言いすぎだ」「住民に不安を与えるな」「東京帰りの若造が偉そうに」といった非難の言葉で綴られていた。
匿名の電話はさらに直接的だった。
「町を悪く言うな」「お前みたいなのはすぐに辞める」
中には「子どもが学校で肩身の狭い思いをしてるぞ」と脅しに近い内容も混ざっていた。
優一は、議員会館の一角にある自分の小さな机に向かいながら、それらの苦情をノートに記録していった。どんな言葉も、切り捨てたくはなかった。
「正直であることが、こんなにも嫌われるとは思わなかったな……」
ポツリとつぶやいた言葉に、隣の席で書類を整理していた中堅議員・桜井が顔を上げた。
「お前、ちょっと張り切りすぎたんだよ。初めての演説で爆弾投げすぎたら、そりゃ皆引くよ」
「でも、事実ですよ。放置してたら町が——」
「事実でもな、“言い方”ってもんがあるんだよ。お前は耳の痛い話を正面からぶつけた。それじゃ、誰も聞いてくれないさ」
言葉に含まれた温度は、冷ややかというより、諦念に近かった。
桜井は十年選手のベテラン議員であり、地元の青年団とも懇意だった。人を敵に回さず、票を確実に積み上げるタイプだ。
「町を変えたいと思うのは悪いことじゃない。でもな、住民が“今のままでいい”と思ってるなら、無理に揺さぶるな。そういうのが、政治ってやつだ」
優一は答えなかった。
その言葉が間違っているとも言えなかったが、正しいとも思えなかった。
その週末、町の公民館で開催された住民説明会。
彼は出席を決めていた。避けていては、正直さがただの独りよがりで終わってしまうからだ。
開始前、すでに数十人の住民が集まっていた。年配の男女、若い母親、農協の役員、地元商店の店主たち。中には、先日の演説で見知った顔も混じっていた。
司会の言葉が終わり、マイクが渡された。
「皆さん、こんにちは。榊原優一です。今日は、先日の議会での発言についてご意見を伺いに——」
「あなたの言い方、あれはひどい!」
マイクを持つ間もなく、年配の女性が立ち上がった。
「私たちは毎日懸命に暮らしてるのに、まるで“全部間違ってる”みたいな言い方をされて……」
「いや、町を悪く言うのは自由だけど、ああいうのは不安を煽るだけだろう」
「現実を見てるつもりかもしれんが、町には“心”もあるんだよ」
非難の声は次々と上がった。
擁護する声はなかった。かつて彼の演説に拍手してくれた数人も、今は目を伏せていた。
——正直に言えば伝わると思っていた。
——でも、これは“伝える”ことにすらなっていない。
会の終了後、帰り際にひとりの老人が近づいてきた。
小さな体に杖をつきながら、真っ直ぐな目で優一を見上げる。
「……あんたの言ってること、間違ってはいない。だがな、“正しさ”は時に、人を傷つけるんだよ」
その言葉は、クレームの嵐よりも、何倍も胸に突き刺さった。
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